恵那市 明智光秀公生誕地 恵那市

Omaki's grave

於牧の方墓所

非業の最期をとげた明智光秀公のご母堂の墓所

臨済宗妙心寺派の寺院

明智光秀は天正三年、信長の名によって丹波八上城を包囲、波多野兄弟と戦ったが、容易に落ちないので、信長との和睦をすすめ、母於牧の方を人質として出し、兄弟を安土城の信長のもとへ送った。信長はそこで光秀との前言をひるがえし、ただちに波多野兄弟を捕らえ、磔刑にしてしまった。八上城に残った波多野の家臣は光秀の背信を怒り、於牧の方を惨殺してしまったといわれています。

臨済宗妙心寺派の寺院

悲業の最期をとげた於牧の方を偲び、里人が石塔を建立したとされています。
将軍徳川吉宗によって制定された「公事方御定書」の翌年、1743年に建立された石塔には、当時の世評をはばかって「南無阿弥陀如来」とだけ刻まれています。また、於牧の方にちなんで樹齢400年を超える老樹「高野槙」を、神木として今もなお崇拝しています。

非業の最後をとげた於牧の方の冥福を祈る里人により、「於牧の方供養祭」としてが毎年11月末執り行われている。

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