可児市 明智光秀生誕の地、岐阜県可児市

AKECHI Castle ruins

明智城跡

光秀が生まれてから落城までの約30年を過ごした地

土岐明智氏一族が代々の居城とした城跡

室町時代、康永元年(1342)に美濃の守護の一族であった土岐頼兼が、明智氏を名乗って可児市に東部に位置する明智荘(あけちのしょう)に築城し、土岐明智氏一族が代々の居城としていました。
明智光秀は享禄元年(1528)に明智荘で生まれ(※諸説あり)、光秀は早くに父光綱を失い、その後は明智城の城主でもあった、叔父の光安らの庇護のもと明智城で暮らしたといわれています。弘治2年(1556)には長良川の戦いにて斎藤道三に勝利した、斎藤義龍に攻め込まれ落城しました。その際城主であった叔父光安は自害し、光秀はこの難から逃れ、明智城を後にします。
明智城跡には、この際の戦死者を弔ったという七つ塚や、ひそかに村人が建立したという六親眷属幽魂塔が残されています。明智城の主郭とされている地点は現在配水池となっており、旧状はとどめていませんが、東出丸、搦手曲輪、二の曲輪、三の曲輪、西出丸、乾曲輪と伝わる場所があります。
明智城跡は自然の地形を利用した山城で、散策しやすいように遊歩道も整備されており、大手門から本丸跡まで10分ほど歩きます。本丸跡にある展望デッキにて現在の明智荘の風景を見て、光秀が過ごした30年間に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

土岐明智氏一族が代々の居城とした城跡

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