京丹後市 「細川ガラシャ隠棲の地、京丹後 味土野」

Garasya's Monument

細川忠興夫人(ガラシャ)隠棲地の碑

「本能寺の変」の報せ受け、玉が開いた扉の向こうの隠棲地、味土野。

ガラシャが幽閉された地に建てられた碑

細川忠興に嫁いだ明智光秀の娘・玉は本能寺の変により逆臣の娘となり、居城のあった宮津から遠く離れた山深い地に幽閉されました。
それが、この碑が建てられている味土野(みどの)です。この時に従った侍女・清原マリアの影響でキリスト教に救いを求めるようになり、後に洗礼を受け「ガラシャ(神の恩籠)」の名を授かりました。

ガラシャが幽閉された地に建てられた碑

ガラシャが生きた時代の資料には本能寺の変の後、ガラシャが幽閉されたという記録は残っていません。
最も古い資料は、元禄年間(1688~1702)の『明智軍記』で、「丹波三戸野」という山里へ送り返したとあります。
また、安永7年(1788)以降に編さんされた『綿考輯録』では、その場所を「丹波之内山中三戸野」 一書丹後の国上戸村の名」とあります。
一方、地元の地誌類では、宝暦13年(1763)の『丹後州宮津府志』にガラシャ隠棲地として味土野が紹介されており、18世紀中葉には隠棲地伝承があったことがわかります。

隠棲当時のようす・・・
隠棲とはいえ、当時、味土野村の戸数は30戸余り、野間随一の大村で、食料の世話は隣の世屋村、前野一族に命じるなど、暮らしの安全には厚く配慮されていたと伝えられます。

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