長岡京市 山崎合戦の古戦場 長岡京市

Katsuryuji Castle Park

勝竜寺城公園

山崎合戦 光秀最期の拠点 勝竜寺城公園

安土城に先行する織豊系城郭の最古級の城

【管理棟臨時閉鎖】新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため、勝竜寺城公園の管理棟(展示室を含む)を4月6日~5月31日まで臨時閉鎖することになりました。御理解御協力いただきますようよろしくお願いします。なお、管理棟以外の屋外(園庭および沼田丸等)については、通常通り開園させていただきます。


明智光秀の娘 玉(細川ガラシャ)が、肥後細川家の祖 細川藤孝(幽斎)の嫡男 忠興(三斎)のもとに輿入れし、幸せな新婚時代を過ごした勝龍寺城。山崎合戦の際には、敗れた光秀が坂本城を目指してこの城から脱出したと伝わります。
京都と大阪の間に位置することから、織田信長の命を受けた藤孝が、元亀2年(1571)に京都防衛の軍事拠点として大規模に改修しました。安土城に先行する織豊系城郭の最古級の城で「瓦・石垣・天守」という当時の最新技術で築かれています。
瓦は、光秀の坂本城(大津市)や佐々成政の小丸城(越前市)の瓦と同じ型で作られ、信長が抱える瓦職人が派遣されたと考えられています。石垣には自然石のほか、石仏や五輪塔などの石造物も使われました。天守は、発掘調査で明らかになっていませんが、藤孝が“殿主”で三条西実澄から古今伝授を受けたと記録されています。光秀が脱出したという北門には、当時の石垣が一部残り、枡形虎口を今に伝えるほか、公園の北300mのところには、土塁・空堀跡が復元・整備されています。

安土城に先行する織豊系城郭の最古級の城

絢爛豪華な時代衣装で行列する「長岡京ガラシャ祭」

城跡は長く荒廃していましたが、地元住民からの強い要望を受け、平成4年(1992)に勝竜寺城公園として整備されました。同年から、絢爛豪華な衣装で玉の輿入れ行列を再現する「長岡京ガラシャ祭」が毎年11月第2日曜日に開催。細川ガラシャゆかりの城として全国から多くの人が訪れます。
肥後細川家にとって長岡京市は特別な土地で、藤孝は、織田信長から長岡京市を含む西岡一帯の支配を許されると長岡藤孝と名乗るようになり、終生長岡姓を名乗りました。その後も長岡姓は家中の格式として一門・重臣に与えられました。

絢爛豪華な時代衣装で行列する「長岡京ガラシャ祭」
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