長岡京市 山崎合戦の古戦場 長岡京市

Igenoyama Old tomb

恵解山古墳(明智光秀本陣跡)

山崎合戦で光秀が本陣を置いた巨大な前方後円墳

陣城に古墳を活用した光秀

恵解山古墳は乙訓地域最大の前方後円墳で、昭和56年(1981)に国史跡に指定され、平成26年(2014)に史跡公園として整備しました。古墳を復元・整備するために発掘調査を行った際に、曲輪(くるわ)状に整地された跡や鉄砲の弾が出土したほか、古墳の西から大きな空堀も発見されました。このことから明智光秀の本陣として使用された可能性が指摘されています。
一部の軍記物語のなかに、光秀は「おんぼうか塚」に本陣を置いたとあり、これについては、恵解山古墳とサントリー京都ビール工場の敷地に一部含まれる境野一号墳(大山崎町)の説もあります。

陣城に古墳を活用した光秀

長岡京市に光秀、大山崎町に秀吉が陣取る乱戦

天正10年(1582)6月2日、本能寺の変で織田信長を討った明智光秀は、6月13日に羽柴秀吉と戦います。かつては天王山を奪い合う戦いと考えられていましたが、現在では、勝龍寺城南側の長岡京市域に光秀が、中世都市山崎の北側の大山崎町域に秀吉が、それぞれ本陣を置き、双方の軍勢がせめぎあう乱戦であったと考えられています。
この戦いに敗れた光秀はいったん勝龍寺城に逃げ込み、夜中に城の北門から脱出して居城の坂本城(大津市)を目指したようですが、途中の醍醐・山科あたりの藪で落ち武者狩りに遭い命を落とします。

長岡京市に光秀、大山崎町に秀吉が陣取る乱戦
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