長岡京市 山崎合戦の古戦場 長岡京市

Nagaoka shrine

長岡天満宮(古今伝授の間ゆかりの地)

細川藤孝(幽斎)結んだ縁

江戸時代から名勝と親しまれる美しい景観

長岡天満宮は江戸時代から名勝として親しまれてきました。ゴールデンウィークの時期に深紅のキリシマツツジが咲き誇る八条ヶ池や、秋には紅葉のライトアップが美しい錦景苑、梅林や桜、初夏のショウブ園など四季折々に美しい景色が楽しめます。
キリシマツツジが咲き誇る八条ヶ池の中堤を渡ったところに「古今伝授の間ゆかりの地」の石碑があります。石碑の揮毫は細川護煕元首相によるもので、現在は水前寺成趣園(熊本市)にある古今伝授の間が、かつてこの地にあったことを伝えています。

江戸時代から名勝と親しまれる美しい景観

細川幽斎の命を救った古今伝授

古今伝授の間とは、細川幽斎が八条宮家初代 智仁親王に「古今和歌集」の解釈の奥義を伝授した建物のこと。桂離宮を造営した二代 智忠親王が領地であった長岡天満宮境内に移築し、「開田御茶屋」として整備しました。明治期にはゆかりのある細川家に引き取られた後、大正元年(1912)に水前寺成趣園に移築・再建、一般公開されています。
古今伝授が幽斎の命を救った事件がありました。慶長5 年(1600)関ヶ原の戦いの前夜、西軍に攻め込まれた幽斎は田辺城(舞鶴市)に籠城します。2ヶ月の籠城の末、古今伝授の断絶を恐れた後陽成天皇の勅命により和睦・開城しました。
八条宮家の系譜をひく宮家にとっても、幽斎の存在は特別だったようで、幽斎が250回忌にあたる安政6年(1859)に、幽斎を「長岡大明神」として祀ることにしました。今も錦景苑の一角に碑が残っています。

細川幽斎の命を救った古今伝授
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