大津市

Saikyou Temple

西教寺

明智一族の菩提寺「西教寺」

聖徳太子が高麗の恩師のために創建

西教寺は、聖徳太子が高麗の恩師のために創建されたと伝わります。その後、久しく荒廃していましたが、第十八代天台座主「慈恵大師良源」が復興し、念仏の道場として現在は全国に約440の末寺を有する天台真盛宗の総本山となりました。元亀二年(1571)、織田信長による比叡山焼き討ちで坂本地域一帯が焼き払われましたが、坂本城主となった明智光秀は、西教寺の壇徒と協力して再建に関わったと伝えられています。

聖徳太子が高麗の恩師のために創建

西教寺には、光秀にゆかりのあるものが数多く残されており、寺内の明智光秀公資料室にてそれらを鑑賞することができます。中でも、「明智光秀公の供養米寄進状」は、光秀が戦没した家臣への供養米を西教寺に寄進するために作成された文書で、身分を問わず同様の供養米を寄進していることから、光秀の人柄を窺える貴重な資料です。

境内の一画には明智光秀一族の墓があり、光秀の命日にあたる6月14日には、法要と明智光秀公顕彰会フォーラムが開催され、光秀の功績を後年に受け継いでいます。また、松尾芭蕉が夫妻の仲睦まじさを詠んだ俳句で知られる光秀の妻・熙子(ひろこ)の墓もそばに佇んでおります。

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